姉の仇のように聴いていた「Hot House Flowers」

姉が中学の時にブラスバンド部でトロンボーンを吹いていた。いや、正確にはトロンボーンを吹こうとしていた、といったほうが良いかもしれない。私は、姉がトロンボーンを吹いているところを一度も見たことがない。

「教育熱心」だった両親は、姉が勉学ではなく部活動に精を出すのが気に入らなかったようで、ブラスバンド部にも反対していた。今考えてみると、なんの取り柄もない、勉強だけできる人間を育てたところで、なんの良いこともないのに、両親は、姉の学校の成績のことばかりに文句をつけ、しまいにはブラスバンド部をやめさせてしまった。

姉だって、もしかしたら少しは悪いところはあったかもしれない。私の姉は、聖人ではないし、その頃どんな人間だったかなんてすっかり忘れてしまった。

姉が、トロンボーンのマウスピースでバジングをしているところを2度ほど見たことがある。中学のブラスバンド部に入部したての頃だ。姉は、ジャズを吹きたいと言っていた。吹奏楽の退屈なCDを何枚か持っていたのも覚えている。私も、姉がいない時にこっそり聴いたからだ。

4歳ぐらい離れた弟の私は、高校に入る頃、ジャズばかり聴いていた。それも、トランペットもののジャズを。

きっと、ジャズを吹きたかった姉の憧れていたものが、どんなものなのか知りたかったということもその理由にあったのだろうけれど、ちっとも良さがわからないジャズのCDを4枚ほど持っていて、それを何度も繰り返し聴いていた。結局、ジャズの魅力なんて、ちっともわからなかった。ジャズのレコードから流れてくるトランペットの音は、私のイメージするトランペットの音とはかけ離れていた。私の中では、ニニロッソのような甘ったるい音色がトランペットだと思っていたからだ。

それでも、トランペットには憧れがあって、高校の同級生がどうやらトランペットを持っていて、使っていないというので、借りてきて、吹いてみようとしたりもした。

マウスピースは、街の楽器屋で2,500円で売っていたDoc Severinsenと書かれた箱に入っていた7Cを使っていた。その頃はDoc Severinsenが誰なのかも知らなかった。彼の世界最高の音色については、何も知らなかったけれど、とにかく、安かったので、そのマウスピースを買った。

両親は、私の学校の勉強のことにしか興味がなく、私も、ずいぶん前にヤマハ音楽教室を嫌で嫌で辞めたこともあり、誰にもトランペットを習うこともせずに、時々、借りた楽器を口に当てて、ひどいアンブシュアだけが身についた。のちのち、そのアンブシュアを治すのにずいぶん大変な思いをした。

高校時代に、家が嫌になってしまい、日本の学校も嫌になってしまい。オーストラリアの高校に通った。そこでも、人種差別で大変な目にあい、ろくに友達はできなかった。それで、仕方なく、また、音楽を聴いてばかりの生活になった。

そのころも、まだジャズと、トランペットへの憧れは変わらずに、わかりもしないジャズを何度も繰り返し聴いていた。今考えてみると、当時私が聴いていたジャズは複雑すぎた。だから、それだけ何度聞いてもちっとも体に入ってこなかったのかもしれない。ただ、音楽のセンスがなかっただけかもしれないけれど。

それでも、何度も何度もウィントンマルサリスの「Hot House Flowers」というアルバムを繰り返し聴いた。なぜか、そのわからない音楽のこのCDが好きだった。ウィントンの音楽は、今聴いても、どうもインテリ的で、テクニカルで複雑なのだけれど、さすがはトランペットの天才、音色は素晴らしい。その、音色の素晴らしさだけでも、感じるところはあったのかもしれない。

オーケストラアレンジなので、どうも、ストレートアヘッドなジャズとも違うのだけれど、これはこれで、今聴いてみるとなかなか良い。ウイントンのトランペットは、どうも味気ないという先入観があったけれど、味気ない中にも、なにか説得力のようなものがある。味気なさは、巧すぎるところからきているのかもしれない。実際、ソロも、優等生的なだけにおさまらないで、自由に吹きまくっている。この自由さは、若い頃のウィントンマルサリスのアルバムでは存分に発揮されているのだけれど、その自由さがどうも気に食わなかったのだけれど、このアルバムの自由さは私が聞き慣れているせいもあるけれど、どこか心地よい。

この頃のウィントンはBACHのヴィンドボナを吹いていたと思う。どう考えてもクラシック野郎の吹くようなこのおぼっちゃま楽器から、ダークでリリカルなジャズを紡ぎ出していたんだから、さすがウィントンである。

特に、個人的には5曲目の Djangoが好きで、何度も聴いた。

お勉強ばっかりやっていても、ロクな人間にならないだろうと冒頭に書いたけれど、楽器の練習と音楽のお勉強ばかりやっていたであろうウィントンであるが、19歳にしてこのような素晴らしい演奏ができるのだから、天才はやっぱり違う。

ウィントンは、これからどうやって枯れていくんだろう。それが、本当のかれの音楽的勝負だと思いながら「Hot House Flowers」をあらためて聴いている。

 

「姉の仇のように聴いていた「Hot House Flowers」」への1件のフィードバック

  1. 一気に読んでしまいました。
    僕は、子供の頃、両親から「自分の好きなことをやりなさい」と言われて育ちました。
    でも、父は、僕が中学1年生のときに病死。
    2人の子供(僕には妹がいます)を母が育ててくれた。
    父が亡くなったとき、母は38歳くらいだったはずです。まだ子供の僕の目には痛々しくみえました。
    心細かっただろうに、それでも「あなたは好きなことをやりなさい」と僕に言うんです。
    僕は、正直、どうしていいかわからなかった。
    父の死とも、正面から向き合えていなかったと思います。
    「普通でいよう」と自分に言い聞かせながらすごしていました。
    トランペットはもう吹いていませんでした。でもギターがあったから、拠りどころがあったからどうにかこうにかやっていけているのだろうと中高生の頃は思っていました。
    本当は寂しかった。大声で泣きたかったし、きっと、そうすれば良かったんでしょうが「男が泣いたりするもんじゃない、おれは長男だ、涙なんか人に見せられない」。それで「普通でいよう」と。素直になればよかったんでしょうね、と今は思うのです。
    学校の勉強はする気にならなくて、高校の頃には後ろから数えたほうがいいような成績になっていました。「普通でいよう」って、それ自体が普通じゃないな、ナンセンスだな、と思いながら、かと言って、変わることもできなかった。
    ウイントンさんを初めてテレビで観たとき、僕は19歳か20歳か。ウイントンさん、僕と同年なんです。びっくりした~! ジャズ・フェスティバルに登場されていたのですが「天才だ、しかも同い年なんて、信じられない」と思った。「この人は、20世紀から21世紀に向かって、トランペットの世界を背負っていくんだろうな。いやジャズの世界を背負うのだろうな」と思ったのを覚えています。
    本作品や、パートをご自分でダビング録音されたクラシックを演奏しているCDをよく聴きました。これらは今も時々聴いています。
    当時、評論を読んでいると「ジャズのミュージシャンがクラシックを演奏しているのを聴くと、フニャフニャしたその演奏に違和感を感じる」と言うような文章がいくらかあったように記憶しています。しかし、僕はそう感じなかった。僕がそれに気がつけなかっただけかもしれませんが、僕にはとても自然に、好ましく聴こえました。ジャンルは関係ない、ほんとにトランペットがうまい人なんだと。
    ウイントンさんは、きっと、いや間違いなく、今でも精進し続けているのでしょうね。
    諸行無常、諸法無我なんて言わなくても人も世の中も変化しつづける。
    僕も、僕のまわりもきっとそうなのでしょう。でも、自分でも自分のことはわかりにくいことが多いと思うし、自分のことを真剣に考えることも、僕の場合そうそうしない。
    還暦が近づいています。60歳にこだわるわけではないのですが~。42歳で亡くなった父よりずいぶん長生きしている。自分が同じ42歳になり、そして43歳になったとき、なんとも言えない気持ちになりました。自分より長生きした息子を、父はほめてくれるだろうか? 僕は、短命だった父の息子です。自分も早死にするのだろうきっと、と思っていましたから。
    僕は、これから「どんどんじじいになってやろう」と思っています。それから、母が言ってくれたように「好きなことをやって生きていこう」とも思っています。
    すみません。長く、つたない文章を、ずいぶん勝手に書き込んでしまいました。
    お会いしたこともないのに、不思議な気持ちです。
    ご迷惑かもしれませんが、これからも、時々、こちらのサイトに寄らせてください。

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