自信満々のDoc Cheatham “Swinging down in New Orleans”

トラディショナルなジャズもなかなか良いと思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。20代の頃は、ジャズっていうのは前衛がいいのだとか思っていた時もあったし、いや、それよりももっとバリバリのハードバップこそジャズだと思っていた時もあった。

ジャズという音楽も、100年も歴史のない音楽だから、前衛もトラディショナルもなにもないような気もするんだけれど、やっぱりそういう概念が存在することは確かだ。100年前のものは十分にトラディショナルなのだ。80年前の音楽もやっぱりトラディショナルなのだ。これは、ジャズだけじゃなくて、クラシックなんかもそうなのかもしれない。いや、ロックでさえトラディショナルなロックミュージックというものが存在するのではないか。

ジャズ、特に40年代前半までに流行っていたスタイルのジャズはトラディショナルなジャズと区分けされる。そして、いまでもそのスタイルで演奏し続けている方々がいる。ディキシーランドだったり、スイングスタイルだったり、それらが混ざったスタイル(シカゴスタイルとか)がある。

そういう古いジャズはどうも若い時分は素直に聴けなかった。こんなものを聴いていてはいけないのではないか、などと感じていた。ときどき背伸びして30年代の録音のレコードなんかを買って聴いていたりしたけれど、どこがいいのかちっともわからなかった。

30代に差し掛かったぐらいから、トラディショナルなスタイルを現代風にアレンジして演奏しているジャズ、大橋巨泉の呼ぶところの中間派のジャズなんかを聴くようになった。たまたま持っていたルビーブラフのレコードがとても良かったからだ。中間派、とても好きになった。

それで、いろいろと聴いて、どうやらボビーハケットが好きだということに落ち着いた。落ち着いたところで、やっと古いジャズを素直に聴けるようになった。

それで今夜はDoc Cheathamを聴いている。

これが、なかなか良い。オールドスクールなジャズである。なにせドクチータムの音が良い。自信がみなぎっていて、それでいてジェントルで、程よく枯れていてどれ以上の言葉が出てこないぐらい良い。トランペッターというのはこうあるべしという演奏だ。

クラリネットやら、バンジョーが入っているのも良い。古いスタイルのジャズにはバンジョーがよく登場するけれど、このバンジョーというのが、あんまり目立ちすぎても古臭くなってしまう。まあ、古臭くても良いのだけれど、バンジョーが控えめながらしっかり役割を果たしているレコードは魅力を感じる。

あの、馬鹿でかい音しか出ない、バンジョーという楽器がまたいい。まさに、ジャズのためにできたのではないかというくらい音の乱雑さが良い。

これだけ、充実した内容のアルバムができたら、リーダーのドクチータムもさぞ満足だろう。このジェケットの満足そうな顔が、それを物語っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です