学生時代に日野皓正を生で聴いた時の衝撃はすごかった。上野恩賜公園の水上音楽堂で聴いた。その頃、あまりジャズなんて生で聴いたことなかったので、圧倒された。
日野皓正がちょうどアルバム「DNA」を発表したばかりの頃だったと思う。メンバーはよく覚えていないけれど、たしか石井彰がピアノだった気がする。
とにかくトランペットの音がすごかった。なんだかわからんが、圧倒された。音が太くて、でかくて、ドスが効いている。これだけでもうお腹いっぱいだった。
曲はRound midnightとかをやったんだと思う。ジャズに詳しくない私も聴いたことのある曲ばかりやっていた。入場料はタダだったと思う。なんで、あんなすごい演奏をタダで聞けたのか、覚えていない。
あれを聴いた時から、自分が楽器を弾くのは道楽にとどめておこうと思った。20そこそこの人間が、あんなのを聞かされちゃあたまらない。チビっちゃいそうになった。曲なんて、なんでもいい。とにかく、日野皓正がそこにいた。楽器を弾くっていうのはどういうもんなのかを思い知らされたような気がした。
その時、私はジャズ研に入っていて、トランペットをいじっていたが、もう、それから変な野望は起きなかった。もちろん、憧れはあった。日野皓正だけじゃなくて、すべての偉大なミュージシャンに対して。あんな風に、自由自在に、楽器を通して表現できたら何て素晴らしいんだろう、と思った。音楽という言葉を自由自在に使えるだけでなく、それを通して何かを表現出来るっていうのがすごくカッコよく思った。
だから、今でも楽器を弾くこと自体はやめていない。音楽という言葉は自由自在に使うことはできない。むしろ、ボキャブラリーはほとんどないし、間違えてばかりだ。それでも、つたない言葉を発することによって、何かを発散することができる。何かを考えたりすることができる。これが、むづかしくて、文法なんてちっともわからないのだけれど、それでも、何かを口に出せるというのは何も話さないこととは大きく異なる。
ギターでも、トランペットでも、ベースでも、ドラムでも、ピアノでも、ヴァイオリンでも、歌でも、なんでもいい。何かを音楽を通して発露できるというのはいかにすごいことなのか、を日野皓正の演奏を聴いて感じた。
今日、久しぶりに、日野皓正のCD「DNA」を聴いている。あれから15年以上が経過しても、日野皓正の音楽の素晴らしさは、全く色あせない。
音楽という言語を通して、ドスの利かせ方とか、叫びも含めて、何かを表現するということの素晴らしさがここには詰まっている。
はじめまして。
日野皓正さんの文章をいろいろと探していて辿り着きました。とても素晴しい文章だと思います。
中学の頃、吹奏楽部でリード楽器はほとんど経験したのですが、音楽的な才能どころか、音感も全くないことを痛感して、完全に聞く側オンリーに回ってます。
でもなんか、もう一回何か楽器やってみようかなと思ったりしました。
とても素敵な文章をありがとうございました。