とっつきやすいジャズ・ソロギターのアルバム Martin Taylor 「Solo」

テクニックがあるミュージシャンはあれはあれで大変なんだと思う。ついテクニックひけらかし系の音楽を期待される。せっかく素晴らしい音楽をやっていても、そっちまで注目されていないミュージシャンも多いんじゃないか。

例えば、早弾きの凄いギタリストなんかは、つい早弾きの方に耳が行ってしまって、肝心の音楽そのものがどうかまでよく聴き込むことができなくなることがある。素晴らしい音楽なんだけれど、ついその技術に注目しがちになってしまい、その凄さがわかっただけでお腹いっぱいになる。

私のレコード( CDも含めて)ラックには、そういう凄いテクニックを誇るミュージシャンのアルバムがたくさんあるけれど、その中で聴きこんでいるものは比較的少ない。大抵はすぐに飽きてしまって、あまり聴いていないものばかりだ。テクニックがすごくて、かつ素晴らしい音楽を作り出しているミュージシャンはたくさんいるし、そういうアルバムも多いのだが。

Martin Taylorは一台のギターでまるでトリオのような演奏の出来る凄腕ミュージシャンだ。リードメロディーを弾きながら、ベース、コード伴奏を同時にやってのける。一人でバンドのようなサウンドを出せる。すごく速いテンポでも、そういう演奏ができる。

チェット・アトキンスもそういうことができるギタリストだったけれど、マーティン・テイラーはそういうことをジャズの文法の中でやってのける。ジャズのソロギターはジョー・パスの「Virtuoso」が有名だけれど、あれをもっと進化させたかのようなテクニックだ。

初めてジョー・パスのソロギターを聴いた時もびっくりしたが、マーティン・テイラーのソロギターを聴いた時も驚いた。ジョー・パスで少々ソロギターのテクニックについては聴き手として免疫がついていたのだけれども、その免疫も吹っ飛ぶくらい驚いた。

何が驚いたって、マーティン・テイラーのソロギターはすごく聴きやすいことだ。ジョー・パスよりもリスナーを選ばない「ポップな」音楽に仕上がっている。ポップという言葉が適当かどうかはわからないけれど、ジャズに明るくない人が聴いたって、なんだかウキウキするような音楽に仕上がっている。

ジャズのフォーマットの中で、ポピュラー音楽やカントリーの曲をカバーしたりもしているのだが、それもすごく聴きやすい。原曲を知っている人にはおなじみのメロディーがマーティン・テイラーなりにアレンジされて演奏される。

彼ほどの天才的なテクニックがあったら、その技術の方ばかり注目されてしまいそうだけれども、実際に彼の音楽を聴いていると、なんだかそっち方面のことを忘れてしまうくらい音楽が完成されている。ジョー・パスのソロギターもそうだけれど、素敵な音楽に仕上がっているので、素直に音楽を楽しめるのだ。

100ぺん生まれ変われるとしても、彼の10分の1もギターテクニックを身につけることはできないだろうけれども、同じくらいの割合で彼のような豊かな音楽を奏でることもできないだろう。ベースラインがグイグイ曲をおして行って、コードバッキングがその間に複雑かつ的確に入ってくる。その上をメロディーラインが自由自在に動く。

マーティン・テイラーはジャケ写もいい。渋いオヤジ感が出ていて、ああ、やっぱりこういう信頼できそうな人がこれ弾いているんだなあと、勝手な感想を抱いている。その、信頼できそうなジャケ写にも、程よい胡散臭さすらあって好感が持てる。