アルバムは一枚ずつ買って聴くに如くは無し Spinners 「New and Improved」

無理やり前向きにならなくてもいいのだけれど、あんまり内にこもった考え方や、後ろ向きにしか考えられなくなってしまったら、何もする気が起きなくなってしまう。今の私がまさにそうで、思考が内にこもってしまい、あれもダメだったこれもダメだったと色々後悔ばかりだったり、外に向かっていく気力が湧かないでいる。

世の中にはそんな気分でもちゃんと働いたり、学校へ通ったりして頑張っている人もいるのだから感心する。そういう人も、あー俺はダメだ、とか考えているのかもしれないけれど、考えながらでもできていることそのことがすごいと思う。

そういう人のことを考えていて、ああ、これではいかんと思い、前向きになれそうな音楽を聴くことにした。Spinners の「New and Improved」。まあ、前向きになれそうな、とはいっても所謂「元気出る」系の音楽の中では結構ソフトな部類なんだけれど。

そもそも、「元気出る」系の音楽は聴くのに体力がいる。元気がなければ聴けないような音楽が多い。だから、本当に元気がないときにはかなりソフトな音楽を聴くのだ。

Spinnersのこのアルバムは、ポジティブでハッピーな曲ばかりが入っている。どの曲もさすが名プロデューサーThom Bellのアレンジだけあって、とってもポップでSpinnersを初めて聴く人にも優しい。聴きやすい。特段ブラックミュージックに興味がない方だって、ソウルなんか聴いたことがなくたってアルバム一枚聴きとおせる。聴き通して、なんとなく明るい気分になれる。

このクオリティーでアルバムを何枚も作れるっていうのもすごい。まあ、ビートルズとかああいう方々は別扱いするとしても、アルバムのどの曲も印象的で、あるべきところに収まっているというのはすごいことだ。試しに、Spinnersの曲を20曲聴かされて、10曲選んでちょうど上手いこと並べてみろと言われたって、こんなに上手いこと並べられない。さすがThom BellとSpinnersである。

音楽は、こういう風にパッケージとして楽しめる側面もあるから、アルバムは一枚ずつ買って聴くべきである。

こんなことを思ったのは、実は私はこのアルバムを「Detroit Spinners original album series」というアルバム5枚詰め合わせで買って持っているからである。Spinnersのアルバムはどれもとても良くできているのだが、5枚も一緒に買ってしまうと、一枚一枚じっくり聴けない。大抵は、5枚の中のヒット曲や、好きな曲だけピックアップして聞いてしまう。これではベスト盤を買って聴いたほうが金も時間も手間もかからない。

幸運なことにこのアルバムは、何かの際にアルバム一枚通して聴いたことがあって、そのアルバムとしての完成度の高さに惹かれたのだ。どの曲も、いい曲だし、それでいて主張しすぎないし、ヒットした曲ですらアルバムの中に自然とおさまっている。単なるシングル曲の羅列になっていない。

元気がないときに聴ける数少ない「元気が出る」アルバム。まあ、効果は人によって異なるかとは思いますが、たとえ元気が出なくたって、いい音楽であることは間違いないですから。

ファインプリントの大家には申し訳ないが The Aperture history of photography series 「Wynn Bullock」

こう言ってしまえばミもフタもないんだけれど、写真集というものでみる写真と、展示のプリントで見る写真は大きく異なる。当然、見た時の印象も異なる。写真集で見た時はいまいちピンとこなかった写真も、展示プリントで見てみるとなんだか結構インパクトのある写真だったなんていうこともある。逆のこともある。まあ、いい写真は写真集で見ても展示で見ても大抵はいいんだけれど。

これは、写真集というのが印刷で、プリントは印画紙に焼いているという違いもあるのかもしれないけれども、最近は展示プリントも印刷のことが多いし、写真集の印刷の質も上がってはきている。

だから、この印象の違いは、本というフォーマットで自宅や本屋で見るのと、ギャラリーや美術館での展示というシチュエーションの違いと、一枚のプリントにかかっている手間(クオリティーか)の違いからくるのかもしれない。

こんなことを考えたのは、今手元にApertureから出ている「The Aperture history of photography series」という写真誌に残る有名な写真家の作品を写真家ごとに一冊づつの本にまとめたシリーズの「Wynn Bullock」の刊があり、それをめくっていてふと思ったのだ。

Wynn Bullockはモノクロの美しいプリントを作ることで有名な人で、この写真集も、その美しいプリントを印刷で再現しようとしている。濃く引き締まった黒と、なめらかなグラデーションを再現するグレーと、スーっと浮き出るような白を再現するのに、結構頑張っている。そして、印刷にしてはなかなか善戦している。印刷のコントラストも高めで、本の値段の割によく再現されていると思う。

Wynn Bullockのオリジナルプリントを一度どこかの美術館で見たのだが、本物のプリントはやはりこの本の印刷とは次元の違う凄さがあった。黒の深さが思っていた以上で、写真はここまで豊かに黒を表現できるのかと驚いた。個人的にはアンセルアダムスのプリントよりもインパクトが強く、圧倒された。

かといって、この写真集「The Aperture history of photography series」ではWynn Bullockの写真を楽しめないかというと、そういうわけでもない。この本でも十分彼の写真を見て楽しむことはできる。この写真集のページをめくるだけで、いかに彼がこの世の質感や風景の中のコントラストにこだわったかが伝わってくる。それだけではない、彼の写真の世界は、まるでこの写真世界が本当は私たちの見ている世界と全く別の場所に存在しているのではないかというような感覚になる。写っているものそのものが何かという問題よりも、どう写っているかに目がいく。彼が写しているのは、確かに現実の世界なのだろうが、この世には存在しない架空の世界になっているのだ。

この写真集でも、そういう世界を感じることができる。一点一点のインパクトという意味ではオリジナルプリントの方が強いかもしれないけれど。むしろ写真集の方が、まとまった数点を繰り返し見ることができるという意味では、彼の写真世界に浸ることが容易にできるというメリットがあるとも言える。印刷で、プリントの凄さを見せつけられないが為に、写真のテーマの方に目が向くというか。いや、Wynn Bullockの作品は美しいプリントも含めて作品のテーマなんだろうけれど。

この際、一度、印刷のクオリティーの低い本で Wynn Bullockの作品をじっくり見てみたい。その時、今まで見えなかった Wynn  Bullockが見えてくるかもしれない。

ミニマリストになれる日は来るのだろうか

身の回りが物で溢れている。CD、レコード、もう読まないであろう本、大して弾かない楽器、使っていないカメラなんかだ。

ミニマリストというのにちょっと憧れる。必要最低限のものを持つ生活。それ以外のものは持たない生活。そういうのが一時期流行ったことがある。家もシンプルな内装で、家具も少なく暮らす。

そういえば、高校で習った漢文の教科書にミニマリストの話が出てきた。誰のなんていう話だったかは忘れたが、あるおじさんが川辺で生活していて、ほとんど持ち物がない。ミニマリストを追求していてもう本当に何にも持たないって決めていて、いらないものはことごとく捨てる。いりそうなものすら持たない。そういう生活を送っていた。ある時、そのおじさんが水を柄杓で汲もうとして、ああ、いかん、ワシは断捨離できとらん、この柄杓をまだ持っていたではないか!水なんて手で汲めばいいじゃないか、と言って柄杓も捨ててしまうという話であったと記憶する。だからそのおじさん、結局スマホと予備のガラケーと電気シェーバーだけ持って荒川の河川敷で生活していた。

こういう生活、なんだかしがらみがなさそうで気持ち良さそうだ。そういうのも良さそうだ。

どうせ死んでしまえば、この世界から何も持って出ることはできないのだから、今のうちにも余計な財産は処分しておく方がいいのかもしれない。私が死んでしまった後残された家族が、遺品を整理するときに処分に困るのも気の毒だ。あの世へ行く時には、すべてを捨てていくのだ。

私の祖父は北海道の名寄という町に住んでいたのだが、身の回りじゅう物で溢れかえりながら暮らしていた。家の敷地もある程度広かったのだが、そこには壊れた自動車が数台と、無数の壊れたテレビ、壊れたステレオやラジオが転がっていた。家の中にも壊れた機械関係のものがたくさん置いてあって、元々商店をやっていたスペースいっぱいにガラクタがぶちまけられていた。

祖父が80代に差し掛かった時、祖父の痴呆も進んでいたので、うちの父が祖父母を札幌の家に呼び寄せた。もう心配だから、札幌で一緒に暮らそうというわけである。

ほんの1月だけという嘘をついて、祖父を名寄から札幌の家に来させた。祖母は、これから一生名寄には戻らないとわかっていたが、何も知らない祖父は着の身着のままと言っても過言ではないくらい少ない荷物で札幌に越してきた。財産の全てを残してである。

結局、祖父母が名寄に戻ることは二度となかった。二人とも死を迎えるまで札幌で過ごした。祖父は札幌に引っ越してきてからすぐに、痴呆老人を面倒見てくれる病院に入院したので、身の回りにガラクタを集めることもできなくなった。名寄を出た日から究極のミニマリスト生活にシフトチェンジしたのだ。

ある意味、祖父は札幌に引っ越してきた時点で既に「死んだ」のかもしれない。すべての持ち物を捨てて、痴呆でわけのわからなくなりかけた体だけを持って移住してきたのだ。ほとんど死ぬためだけに。

そういう祖父を見ているので、ミニマリストにシフトチェンジすることがなんだか怖い。そもそも、捨てることができない。自分が薄っぺらいから、捨ててしまうことによって何も無くなってしまうのではないかとも思う。そして、おそらく本当にそうなるだろう。持ち物を失うと何もできなくなってしまいそうだ。

しかし、その一方で、今持っているものは、火事や津波なんかに見舞われればひとたまりもないわけで、一気に全てを失う。生きているうちに、そういうこともないとは言い切れないので、やはりいつもどこかで身の回りにあるガラクタに依存しないで生きていく方法を考えていなくてはいけない。

今は幸い、クラウドサービスなんかが便利なので、写真なんかはすべてクラウドストレージに突っ込んどけばいいわけなんだが、どうもこう、現物がないと安心できない私は、フィルムで写真を撮影し保管したりしている。

私はいつになったら物から自由になれるんだろう。

不謹慎の許されない世界が見えてきて怖い After 9/11 Nathan Lyons

よく、社会を賑わすような事件や、災害があると、必ずそのことをネタにした不謹慎な発言をされる方がおります。
そうすると、今の時代だとインターネットやなんかで「コイツ不謹慎な発言しやがって」とのように広がったりします。それで、その元の発言をした人が有名人だったりすると釈明会見をしたり、ブログやSNSだと、そこが荒れたりします。

これはまあ、被害者とかの気持ちになってみると弾劾されるのはある意味仕方ないことで、だいたい社会を揺るがす事件の場合、マスコミや社会の大多数は被害者・被災者の味方をするもんです。それは全然異常なことではないと思います。

しかしながら、時間が経って見返したとき、それらの「不謹慎な発言」の一部が事件や災害への人々の反応の異常さや、事件の本質をついた発言だということがあります。そのときは不謹慎だったけれども、後で考えてみるとあいつなかなか深いことを言っていたんだな。なんて思ったりします。

これが、小さな事件だと不謹慎で済みますが、戦争とか革命とか国家を巻き込んだ事態だと「反逆」だとか言われてしまって、最悪国によっては投獄されたりします。

堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」なんかは、二二六事件から開戦までに行われた左翼狩りについてシニカルに書かれておりますが、あれ、時間をおいて書かれているからいいものの、本当に「若き日」当時にあんなことを大っぴらに言っていたら留置所に置かれるだけでは済まなかったでしょう。けれども、ちょっと不謹慎な視点があの小説ではとても重要な構成要素なのです。不謹慎も、時間をおくととても重要性を持ってくる一つの例と言えましょう。

ニューヨークの同時多発テロ(9/11)、あれは21世紀の恐ろしい幕開けとして私の記憶に残っています。あの後に続く世界中で勃発した戦争も恐ろしいですが、すべての引き金になった9/11は、私個人にも、社会的にも暗い影を落としました。あの時は、一体これからどんな戦争に巻き込まれるんだろう、世界大戦が始まるな、と思いました。そして、ある意味それは本当になり、戦争の舞台となっている地域は限られていても、世界中が巻き込まれる戦争につながりました。

あの9/11の後の、アメリカのメディア、メディアに映されるアメリカ人、身の回りのアメリカ人の知り合いの反応は皆一緒でした。

「アメリカは倒れない!」

「アメリカには神がついている!」

「アメリカを愛している!」

皆、そう叫んでいました。文字通り叫んでいる人も何人も見ました。テレビでアメリカのメディアが取り上げられる時、そこには必ず星条旗が掲げられてました。

戦後教育のせいか、愛国心というものにちょっと気恥ずかしさがある私には、どうもその9/11の後の「星条旗」に違和感を覚えました。同じことが日本に起きて、みんな自宅の前に日の丸を掲げたりしたら、違和感を憶えるだろうな。なんだかずいぶん暮らしにくい世の中になった気がするだろうな。ちょっと「はしたない」って思ってしまうかもしれないな。と、正直思いました。

それから10年が経ち、日本で東日本大震災(3/11)が起きました。「福島の復興」の力の入れようには9/11の「星条旗」と似たものを感じましたが、家の周りに日の丸が並ぶことはありませんでした。やっぱり、私の感覚だとこうだよな、家のベランダに日の丸は掲げないし。福島を利用して一旗上げることは何度か考えたけれども、「I love 福島!」みたいなリアクションはしませんでした。周りの目が怖かったので、あんまり東北地方について不謹慎な発言はしまいとは思っておりましたが、福島で困っている人たちよりも、自分の家が停電になったら嫌だな、とか、駅が暗くて嫌だなと思ってました。

東京の地下鉄の駅の照明が間引かれた時も、どうせこれは「義理」でやっているのであって、実際のところ照明を間引かなくたって電力は足りるんじゃないかって思ってました。家の電気も節約しようとはちっとも思わず、普通に使ってました。震災の夜、私は消費電力70Wぐらいの真空管アンプのテストをしました。アンプのノイズが止まらなくなっていて、私にとっては地震よりもアンプのほうが重要だったのです。

けれども、そういうことをあまり人前では言わないようにしました。不謹慎だと言われるのが嫌だったからです。インターネットの掲示板やら、ヤフーニュースの掲示板なんかでは、やっぱり不謹慎な発言をしたと言われ弾劾されている方々がいました。

今日、本棚を見ていたらNathan Lyonsの「 After 9/11」という写真集が目に入りました。9/11の後にニューヨークを始めとする大都市や、地方都市の街角でショーウィンドーや看板に掲げられた星条旗や、ハクトウワシ、アメリカへのメッセージ、テロの被害者へのメッセージを撮影した写真集です。まさに、9/11の後にテレビやメディアで見たアメリカ人のリアクションが写っていました。

私自身、なぜこの写真集を買ったかを覚えていないのですが、写真自体はとってもかっこいい写真が多数収められております。Nathan Lyons、さすが「社会的風景に向かって」のディレクターです。60年代のそういった時代の写真につながる、ちょっとシニカルな視線を感じます。写真集の印刷も、ちょっとコントラストが高めで、それも60年代の「社会的風景」な写真を思わせます。

ただ、星条旗というモチーフはとても強いイメージを持たせるので、ここに収められた写真は、あの9/11の後のアメリカ人の強いリアクションを私に思い出させます。そして、その強烈な印象で一色に染まったアメリカの社会の窮屈さがとても心に引っかかります。

だって、窮屈でしょう。こんなに愛国心一色に街が染まっていたら、不謹慎なことは言えない。そして、不謹慎なジョークで笑えない。みんなキオツケをして同じ方を向いているような感覚です。

きっと、このNathan Lyonsの世界はフィクションなんだろうけれど、いや、フィクションであって欲しいんだけれど、そう思う一方で、やっぱり現実にこうなっていそうだから怖い。フセインさんのいた頃のイラクが何考えているかわからないイメージで怖かったのと同じぐらい、この、みんなキオツケをして同じ方を向いていそうなアメリカの社会イメージが怖い。

そういう、怖くて窮屈なイメージのものを見てしまうと、不謹慎なことがある程度許容される世の中の方が、バリエーション豊かなものが出てきていいと思います。

スローに写真を撮れるって今の時代だからこそ見直されてもいいよな Leica Standard

写真集を見るようになったのは、写真への興味っていうのもあるけれど、元々カメラとかそういう写真撮影に用いる道具みたいのがどうも妙にかっこいいなあということになって、じゃあ、そういう色々なカメラで撮られた写真っていうのは一体どういう風に見えるのかっていう興味もあった。平たく言えばカメラ小僧ということになるか。カメラってSLとかと似ていて、なんだか黒くて機械が組み合わさってできていて、少年の心をくすぐるもんだ。

とは言っても、初めて自分で買ったカメラはデジカメだった。買ったのは2002年ぐらいだったと思う。確かオリンパスの CAMEDIAっていう210万画素ぐらいのカメラで、しばらくはそれで満足していたから、カメラへの興味という意味では機械というよりも、写るっていう方に重点があったのかもしれない。そのデジカメは、気付いたらどこかに無くなっていた。結構いい値段したんだけれど。

そのデジカメを買ってから、写真を撮ったりすることが面白いと思うようになり、半年後くらいには中古でニコンの安いマニュアルフォーカスの一眼レフを買って、なんだかわけのわからないレンズをつけて、アマチュアカメラマンの定番で花とかを撮っていた。その頃は写真愛好家の多くはカラースライドフィルム(カラーポジ)で撮影していたから、私も多分にもれず35ミリのカラーポジで撮影していた。フィルム代が1本1000円ぐらいして、現像も1本700円ぐらいしていたから、コスト的には今のカラーポジと変わらない。

写真愛好家の多くがカラーポジで撮っていたし、アサヒカメラとかを立ち読みすると、「一番偉い」のはカラーポジみたいな風潮があったので、私も「一番偉い」部類に入りたかったからカラーポジで撮影していた。

そのあと、大学の写真部に所属する友達(先輩か)ができて、その人が「お前、馬鹿野郎、初めはモノクロフィルムで修行しなさい!」と仰ったので素直にモノクロフィルムに切り替えた。富士フィルムのNeopan Presto 400というフィルムを使った。本当はコダックのトライエックスが使いたかったが、一本あたり100円ぐらい違ったから富士にした。長巻も当時一缶で富士が2700円ぐらいのところコダックは3700円ぐらいだった。どうも変なところをケチってしまう自分は富士にした。

社会人になってしばらく写真撮影の趣味から遠ざかったりして、携帯電話のカメラすらほとんど使わなかった。何年かに一度写真熱が再燃するのだが、ごく短期間で燃え尽きてしまう。暗室作業をするだけの気力が続かないのだ。

それで、一昨年また写真熱が再燃した際に、思い切って一台コンパクトデジカメを買って、それで撮ることにした。

コンパクトデジカメにすると、撮れる撮れる、1日に300枚ぐらいシャッターを押してしまう時もあった。フィルムで撮ってた頃は多くても1日150カットぐらいしか撮らなかったから、一気に倍である。それも、現像しなくてもいいものだから、撮る頻度も増え、写真がパソコンの中でいっぱいになった。

その写真熱も2ヶ月ぐらいで収まってしまい、半年を置いて、また2ヶ月再燃するというのを繰り返した。

合計で半年も撮っていないのだが、わけのわからない写真のデータでパソコンがいっぱいになった。デジカメで撮れる時は同時進行でモノクロフィルムでも撮っていたのだが、あまりにもたくさん撮ってしまい現像が追いつかない。それでパソコンが写真だらけになり、未現像フィルムがたまり、嫌になってしまうのだ。

そういうことが続き、写真を撮ること自体がストレスになった。誰に頼まれたわけでもなく、道楽で写真を撮っているわけなのだが、負担になるのである。情けない。

そこで、写真を撮る枚数を減らすことにした。

デジカメでは、取ろうと思えばほぼ無限に撮影できてしまうのだが、どうせ無限に撮っても自分が気にいる写真はその中のほんの数枚だけだから、欲張らないのである。

プロのカメラマンや、写真家の方だとこういうわけにはいかないのかもしれないが、こちらは写真愛好家なんだから別に撮影枚数を減らしたところで誰が困るわけじゃない。

コンパクトデジカメも使っているが、それで撮影する回数を減らした。そして、普段持ち歩くカメラはLeica Standardというなんともシンプルな、「カメラ原理主義」みたいなカメラにした。これにカラーネガを入れて撮影するのだ。カラーネガにしたのは、現像が外注できるのと、フィルム代が高いので「ケチる」本能を働かせるためだ。そして、カラーネガはラチュードが広いので多少の(結構ヤバくても)露出ミスもカバーしてくれる。そして、何より、カラーネガこそ私にとって「一番普通」なフィルムなのだ。私は「写ルンです」の世代だから。

Leica Standardにはピント合わせの指標となるものが付いていないので、レンズの付け根に書いてある距離表示を元に目測でピントを合わせる。露出計も付いていないので、フィルムの箱に書いてある(今使っているフィルムには書いてなかったけど)露出の基準を使う。フィルムの巻き上げも、ノブ式だからやけに手間がかかる。巻き戻しも同じくノブだからやけに時間がかかる。いや、これでもLeica Standard発売当時はすごくスピーディーに写真撮影できる画期的なカメラだったんだろうけれども、今の時代にしては時間がかかる。コンパクトデジカメの5~6倍時間がかかる。

撮る枚数を減らすことにしてみても、まだ慣れないので、つい撮ってしまう。しかし、「撮らない撮影」もだいぶ上達したようで、最近は外に出歩いて36枚撮り1本で満足して帰ってこれる。この調子だと、週に1日だけカメラを持ち出すようにしたら、一週間に1本で済んでしまう。写真道楽のミニマリストである。

素晴らしい写真を撮る写真家が何カット撮っているかは知らない。話によると一月に50〜100本撮るなんていうのも普通らしい。デジカメだときっと5000コマ以上撮っていたりするんだろうか。とにかくたくさん撮れと、かつてなんかのカメラ雑誌で読んだ。そういう風に、たくさん撮るのは大いに結構なことだと思う。けれども、私はそのペースでは撮影できない。写真の整理や現像が追いつかないし、時間的にも経済的にもキツイからだ。

そういう風にしてでも、写真道楽は続けられるかどうか、それが目下私の研究テーマである。