スローに写真を撮れるって今の時代だからこそ見直されてもいいよな Leica Standard

写真集を見るようになったのは、写真への興味っていうのもあるけれど、元々カメラとかそういう写真撮影に用いる道具みたいのがどうも妙にかっこいいなあということになって、じゃあ、そういう色々なカメラで撮られた写真っていうのは一体どういう風に見えるのかっていう興味もあった。平たく言えばカメラ小僧ということになるか。カメラってSLとかと似ていて、なんだか黒くて機械が組み合わさってできていて、少年の心をくすぐるもんだ。

とは言っても、初めて自分で買ったカメラはデジカメだった。買ったのは2002年ぐらいだったと思う。確かオリンパスの CAMEDIAっていう210万画素ぐらいのカメラで、しばらくはそれで満足していたから、カメラへの興味という意味では機械というよりも、写るっていう方に重点があったのかもしれない。そのデジカメは、気付いたらどこかに無くなっていた。結構いい値段したんだけれど。

そのデジカメを買ってから、写真を撮ったりすることが面白いと思うようになり、半年後くらいには中古でニコンの安いマニュアルフォーカスの一眼レフを買って、なんだかわけのわからないレンズをつけて、アマチュアカメラマンの定番で花とかを撮っていた。その頃は写真愛好家の多くはカラースライドフィルム(カラーポジ)で撮影していたから、私も多分にもれず35ミリのカラーポジで撮影していた。フィルム代が1本1000円ぐらいして、現像も1本700円ぐらいしていたから、コスト的には今のカラーポジと変わらない。

写真愛好家の多くがカラーポジで撮っていたし、アサヒカメラとかを立ち読みすると、「一番偉い」のはカラーポジみたいな風潮があったので、私も「一番偉い」部類に入りたかったからカラーポジで撮影していた。

そのあと、大学の写真部に所属する友達(先輩か)ができて、その人が「お前、馬鹿野郎、初めはモノクロフィルムで修行しなさい!」と仰ったので素直にモノクロフィルムに切り替えた。富士フィルムのNeopan Presto 400というフィルムを使った。本当はコダックのトライエックスが使いたかったが、一本あたり100円ぐらい違ったから富士にした。長巻も当時一缶で富士が2700円ぐらいのところコダックは3700円ぐらいだった。どうも変なところをケチってしまう自分は富士にした。

社会人になってしばらく写真撮影の趣味から遠ざかったりして、携帯電話のカメラすらほとんど使わなかった。何年かに一度写真熱が再燃するのだが、ごく短期間で燃え尽きてしまう。暗室作業をするだけの気力が続かないのだ。

それで、一昨年また写真熱が再燃した際に、思い切って一台コンパクトデジカメを買って、それで撮ることにした。

コンパクトデジカメにすると、撮れる撮れる、1日に300枚ぐらいシャッターを押してしまう時もあった。フィルムで撮ってた頃は多くても1日150カットぐらいしか撮らなかったから、一気に倍である。それも、現像しなくてもいいものだから、撮る頻度も増え、写真がパソコンの中でいっぱいになった。

その写真熱も2ヶ月ぐらいで収まってしまい、半年を置いて、また2ヶ月再燃するというのを繰り返した。

合計で半年も撮っていないのだが、わけのわからない写真のデータでパソコンがいっぱいになった。デジカメで撮れる時は同時進行でモノクロフィルムでも撮っていたのだが、あまりにもたくさん撮ってしまい現像が追いつかない。それでパソコンが写真だらけになり、未現像フィルムがたまり、嫌になってしまうのだ。

そういうことが続き、写真を撮ること自体がストレスになった。誰に頼まれたわけでもなく、道楽で写真を撮っているわけなのだが、負担になるのである。情けない。

そこで、写真を撮る枚数を減らすことにした。

デジカメでは、取ろうと思えばほぼ無限に撮影できてしまうのだが、どうせ無限に撮っても自分が気にいる写真はその中のほんの数枚だけだから、欲張らないのである。

プロのカメラマンや、写真家の方だとこういうわけにはいかないのかもしれないが、こちらは写真愛好家なんだから別に撮影枚数を減らしたところで誰が困るわけじゃない。

コンパクトデジカメも使っているが、それで撮影する回数を減らした。そして、普段持ち歩くカメラはLeica Standardというなんともシンプルな、「カメラ原理主義」みたいなカメラにした。これにカラーネガを入れて撮影するのだ。カラーネガにしたのは、現像が外注できるのと、フィルム代が高いので「ケチる」本能を働かせるためだ。そして、カラーネガはラチュードが広いので多少の(結構ヤバくても)露出ミスもカバーしてくれる。そして、何より、カラーネガこそ私にとって「一番普通」なフィルムなのだ。私は「写ルンです」の世代だから。

Leica Standardにはピント合わせの指標となるものが付いていないので、レンズの付け根に書いてある距離表示を元に目測でピントを合わせる。露出計も付いていないので、フィルムの箱に書いてある(今使っているフィルムには書いてなかったけど)露出の基準を使う。フィルムの巻き上げも、ノブ式だからやけに手間がかかる。巻き戻しも同じくノブだからやけに時間がかかる。いや、これでもLeica Standard発売当時はすごくスピーディーに写真撮影できる画期的なカメラだったんだろうけれども、今の時代にしては時間がかかる。コンパクトデジカメの5~6倍時間がかかる。

撮る枚数を減らすことにしてみても、まだ慣れないので、つい撮ってしまう。しかし、「撮らない撮影」もだいぶ上達したようで、最近は外に出歩いて36枚撮り1本で満足して帰ってこれる。この調子だと、週に1日だけカメラを持ち出すようにしたら、一週間に1本で済んでしまう。写真道楽のミニマリストである。

素晴らしい写真を撮る写真家が何カット撮っているかは知らない。話によると一月に50〜100本撮るなんていうのも普通らしい。デジカメだときっと5000コマ以上撮っていたりするんだろうか。とにかくたくさん撮れと、かつてなんかのカメラ雑誌で読んだ。そういう風に、たくさん撮るのは大いに結構なことだと思う。けれども、私はそのペースでは撮影できない。写真の整理や現像が追いつかないし、時間的にも経済的にもキツイからだ。

そういう風にしてでも、写真道楽は続けられるかどうか、それが目下私の研究テーマである。